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2.東金市の姿

[2012(平成24)年12月21日]

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東金には古い歴史があります。

私たちが住んでいる東金には、旧石器時代や縄文時代など、古代の遺跡が数多く残されています。この時代の東金は、現在の市域の大半が遠浅の海であり、丘陵地帯が海に突き出していました。暖かな気候に恵まれた丘陵で、人々は狩猟や漁労採取による生活をしていました。
弥生・古墳時代に入ると、寒冷化によって海は徐々に後退し、平野部に湿地が広がり、人々は活動の場所を求め、徐々に丘陵から平地に降り、田をつくり、集落を築きはじめました。

その後、鎌倉時代の北条氏、室町から戦国にかけての酒井氏の支配を経て、戦国時代末期に徳川氏の支配下にはいりました。江戸に入府し幕府を開いた徳川家康が、慶長19(1614)年、当地を鷹狩りのため訪れ、この時、東金から千葉・船橋を一直線につなぐ「御成街道」がつくられました。この街道により東金は、江戸期を通じ交通の要衝となり、近隣の農水産物が集まる問屋街「上総のこがねまち」と呼ばれ発展していきます。
また、同じ慶長19(1614)年には、雄蛇ヶ池が完成し、その後の新田開発の基礎となりました。

商業・農業のまちとして発展した東金は、また、文化交流の場としても知られるようになります。幕末の詩人、遠山雲如や梁川星巌によって「小西湖」とうたわれた八鶴湖には多くの学者が集まり、佐藤信淵らによって広められた朱子学が普及するなど、文化・教育を尊ぶ土壌が東金に根づいていきました。

明治期以降も、東金は周辺地域の拠点、商業の中心地として発展し、活発な活動が行われてきました。生活を支える病院や銀行、教育施設がいち早く設置され、明治33(1900)年には房総鉄道の東金~大網間が開通し、東金駅が完成しました。その後、二度の大戦を経て、戦後復興の時代をむかえます。
この時代の大きな事業が両総用水です。両総用水は、遠く利根川から水をひき、田畑をうるおす大事業であり、長年にわたる旱害や水害から九十九里地域の人々を守りました。
昭和28(1953)年、丘山、大和、正気、豊成及び公平村と東金町が合併し、翌29(1954)年、源村と福岡村の一部を編入し「東金市」が誕生します。 東金市誕生後、市営ガス、土地改良など、生活を充実・安定させる基盤づくりを着実に進めるとともに、周辺町村と協力し、清掃組合や広域消防を組織するなど、山武地域の中核都市としての役割も担ってきました。
昭和48(1973)年、東金バイパス(現国道126号線)が開通し、その後、住宅地の開発が本格化し、東金の市街地は大きく拡大しました。新しく整備された東金駅東側には、地元商工者により新たな商業空間が形成され、活気とにぎわいを見せています。
昭和54(1979)年には千葉東金有料道路が開通し、東京方面へのアクセスが飛躍的に向上しました。
平成2(1990)年のフランスのリュエイユ・マルメゾン市との姉妹都市提携、平成4(1992)年の城西国際大学の開学など、国際的な「文化都市」としての基盤づくりも進められ、今日に至っています。

恵まれた自然環境とこうした先人たちの努力の積み重ねのうえに、現在の東金市の姿があります。

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