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あしあと

    市指定文化財 丸山遺跡(まるやまいせき)

    • [更新日:]
    • ID:457

    指定内容

    (市指定)

    • 所在地 大豆谷字丸山772-1
    • 所有者 (管理者)東金市
    • 指定年月日 昭和44年10月1日
    • 区分 史跡
    • その他 4600平方メートル

    紹介

     丸山遺跡の発掘調査は昭和32年頃、当時の土地所有者市原栄一氏が畑を耕作中に多量の土器や焼土を発見したことによる。

     発掘調査は、昭和35年1月上旬に当時東金高校教諭であった川戸彰氏の指導により、東金高校考古学クラブ員によって行われた。

     遺構は地表面(当時畑)から20cm~30cmほど掘り下げた関東ローム層上面で確認され、覆土(遺構に堆積した土)を取り去る過程で多くの遺物が出土し、遺構は住居跡4軒であることが判明した。

     住居跡は方形の竪穴式住居跡で、カマドが3軒で確認され、土製支脚も出土している。遺物は杯・高杯等の土師器が、金属製品としては金環(きんかん)が、また、製鉄関連遺物である鉄滓(てっさい)も数点出土。住居跡が古墳時代後期まで遡ることが確認された。この時の丸山遺跡の調査は、東金市における発掘調査の記念すべき第一歩であった。

     その後、昭和50年代の大規模開発に伴い、本遺跡周辺は東金台遺跡群として発掘調査が行われた。同遺跡群の主要な遺跡からは古墳時代から奈良・平安時代までの竪穴式住居が海老ヶ谷遺跡で155軒、東金黒田遺跡で142軒、椎木台遺跡が265軒、小油井台遺跡は109軒検出された。そして、このとき行われた丸山遺跡の再調査では約105軒の竪穴式住居跡が確認された。

     これらの大規模発掘調査により、丸山遺跡が古墳時代~奈良・平安時代までの大集落群の一部であることが明らかになった。

    地図