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あしあと

    市指定文化財 櫻木誾斎の墓碑(さくらぎ/おうぎぎんさいのぼひ)

    • [更新日:]
    • ID:439

    指定内容

    (市指定)

    • 所在地・・・・・・・谷お林墓地
    • 所有者・・・・・・・(管理人)個人
    • 指定年月日・・・平成2年3月5日
    • 区分・・・・・・・・・史跡
    • その他・・・・・・・1基 

    紹介

    江戸時代中期、東上総(東金・九十九里・大網白里・山武)の農民層を中心に、崎門学派(山崎闇斎創始の朱子学の一派)が伝わり、後に上総道学と称された。上総道学は、稲葉迂斎(1684~1760)・黙斎(1732~99)父子により広められ、朱子学の中でも、道徳的人間学を教養の核としていた。この上総道学を学んだ人物の一人に、東金出身の櫻木誾斎がいる。

    誾斎は享保10年(1725)に生まれ、千之、清十郎(通称)などと名乗り、誾斎は号である。誾斎は寛延3年(1750)頃、迂斎に入門したと伝えられている。その実力は、黙斎と同等とされ、迂斎門下で特に優れた「上総八子」に加えられた程であった。また、崎門学派以外の神道派である西依成斎・伴部安崇の影響を受けるなど、ひとつの流派に拘らず、学問の研鑽(けんさん)に励んだ。

    寛政元年(1789)、誾斎は65歳の時に、長崎聖堂(長崎県)の教授となり、『論語』『孟子』『中庸』等を教えていたという。文化元年(1804)、享年80でこの世を去った。

    ※「櫻木」の読みに関しては、「おうぎ」「さくらぎ」等の説がある。

    地図