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あしあと

    市指定文化財 大関城址(おおぜきじょうし)

    • [更新日:]
    • ID:422

    指定内容

    (市指定)

    • 所在地 依古島80
    • 所有者 (管理者)依古島区
    • 指定年月日 昭和61年12月16日
    • 区分 史跡
    • その他 465,3平方メートル

    紹介

     大関城址は、依古島を中心に、南白亀・真亀両川に挟まれた標高4~5メートルの浜堤砂丘地帯にある。依古島の両側には、旧河川跡と思われる低湿地帯が長く南北に続いている。大関城は、この自然の地形をたくみに取り入れた水城で、中世の城としては珍しい存在である。本丸は大関神社の地に、二の丸はその北部に、また、大手門は南方と推定されている。
     『上総国誌』によれば、元久元年(1204)畠山重忠の支族が安房国から上総国に移り、重康の代に大関城を造営して武威を伸ばし、東金酒井氏と相争い、大永6年(1526)12月、酒井隆敏に攻められて大関城は落城、重康は上谷常福寺に逃れたが、自決し畠山氏は滅亡したといわれる。
     現在、依古島・砂古瀬付近には濠・土塁・物見台跡等がある。
     また、上谷には重康を祀る玄勘様があり、歴史を偲ぶ格好の史跡である。

    地図