せきかんさい医業と開拓に人生を捧げた東金の偉人 関寛斎1954S294月1日、県下13番目の市として東金1957S32市制施行後、初の市議会議員選挙実施1962S37交通安全都市宣言1965S40東金市民歌制定1970S45市の木「ラカンマキ」指定1971S46東金市総合計画策定市が誕生人口3万4681人、世帯数6348戸でスタート市営ガス供給開始市庁舎(現第1庁舎)完成山武郡市広域行政組合設立1989H1非核平和都市宣言1990H2フランスのリュエイユ・ マルメゾン市と姉妹都市締結1991H3産業祭初開催1992H4城西国際大学開学1995H7ときがね湖(東金ダム)完成1997H9千葉東テクノグリーンパーク分譲開始1998H10東金九十九里有料道路開通2000H12東金アリーナオープン (陸上競技場は2002年)2001H13東金市第3次総合計画策定市内循環バス運行開始2002H14ふれあいセンターオープン2003H15児童館オープン 関寛斎は文政13(1830)年、現在の東金市東中で誕生。 ら最新の医学を学びました。その後、徳島藩の藩医を経て、軍医として戊辰戦争に参加します。73歳で北海道での開墾と牧場経営の道へ。厳しい環境での生活の中でも地域の医療に尽力、82歳で生涯を終えました。 足跡は明日へとつながる 関寛斎翁之像奥羽出張病院の旗現在のキャンパス30歳でオランダ人医師ポンペか
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